雑記

「古代エジプト展 天地創造の神話」@京都市京セラ美術館【感想】

先日知人に誘われ、京都市京セラ時術館で開催されている古代エジプト展を観に行ってきました。

想像以上に面白い内容で興味が持てたので、感想をまとめておきたいと思います。

古代エジプト展

この「古代エジプト展 天地創造の神話」は世界的に名高い総合博物館、国立ベルリン・エジプト博物館から約130点の作品が展示されています。

これまでも日本でのエジプト展は「ファラオ」や「ピラミッドの秘密」などをテーマに開催されていますが、今回は「天地創造の神々」とあるようにエジプトの神々にスポットを当てています。

展示内容は、プロローグ「全ては海から始まった」第1章「天地創造と神々の世界」、第2章「ファラオと宇宙の秩序」、第3章「死後の審判」エピローグ「オシリスの予言」というテーマで構成されています。

天地創造と神々の世界

「世界の始まりは混沌とした原初の海『ヌン』であった。」というところから展示会は始まります。

ある時、原初の海から小高い丘が現れ、そこに始まりの神アトゥムが現れこの世界に初めて光が訪れます。

アトゥムは大気の神シュウと湿気の女神テネフトを創造します。

そしてこの二神から大地の神ゲブと天の女神ヌトが生まれます。

しかし大地の神と天の女神は仲が良すぎて、抱き合ったまま離れません。

結局天の神は上へ、大地の神は下へ引き離され、天と大地の間に大気と湿気が存在するようになります。

という説明書きと共に神々の展示がされています。

セメクト女神坐像 前1388〜前1351年頃

他にも神はたくさんいます。

太陽、月、星、空、雲、砂漠、川や身近なネコやハヤブサなどの動物も神としています。

まさに八百万の神を信じていたという点では日本人と似ていますねさすがにネコまではと思いましたけど、招き猫とかはありますね。

また、古代エジプトはナイル川流域で発展しました。

大地を潤し、肥沃させるナイル川ですが、雨が降らなければ大地は渇き、雨が降り続けば氾濫を起こします。

恵みも死ももたらすナイル川。古代エジプト人は自然と共に生活をしていました。

日本人も周りに山や川など自然があり自然と共に暮らし、例えば森の一番奥にある大きな木に神を感じ御神木にしたりしますよね。

一神教のキリスト教やイスラム教は周りに何も無い砂漠から生まれました。

一方で場所は違えど、周りに生き物や自然があるところで、それぞれの生き物や自然に神を感じたのは古代エジプトと日本の共通点があり面白いですね。

死後の審判

ミイラと共に棺に納める死者の書

古代エジプトでは人は死んだら来世に行くと信じられていました。

人間は5つの要素から成り立っていると考えられています。

それは肉体・精霊・霊体・名前・影の5つです。

この5つの要素は生きている間は常に一体ですが、肉体が死んでしまうとバラバラに分かれてしまい、
肉体が朽ちるとこれら全ては滅んでしまいます。

人が来世で生活するためにはまず肉体を維持しなければなりません。

そのために古代エジプトの人々は死者をミイラにします。

例えばミイラも生きるためには食べ物が必要ですが、ミイラは動くことが出来ません。

そこでミイラの代わりに食べ物を取りに行くのが霊体です。

死者への供物を霊体が肉体に届けているのです。

霊体は肉体から離れた後、西の果てにある冥界の王のオシリス神の治める来世へと旅立ちます。

冥界には霊体を狙う猛獣や悪霊が存在し、それらを退けながら霊体は来世を目指します。

冥界を抜けると来世に向かう最後に試練が待っています。

「ふたつの真実の間」と言われる広間で死者の裁判をするのです。

そこで霊体は自ら生前に罪を犯していないことを告白します。

そして心臓を抜き取られ、真実の羽と天秤にかけ告白の真偽を確かめます。

つり合えば無事に来世にたどり着け、もしつり合わなければ怪物アメミットに心臓を食べられてしまうのです。

心臓を食べられ来世での復活を否定された霊体は、暗闇に沈みそこで永遠に苦しむことになります。

その「再死」を免れるために「死者の書」があります。

死者の書の呪文を唱えることで試練を乗り越え最終的に来世のイアル野を目指します。

イアル野にはナイル川が流れナツメヤシが生い茂るエジプトそのものの世界です。

この死後の楽園で人々は生前と変わらずナイル川の流域で農作業をして暮らしていくことになります。

古代エジプト人は死後の来世でもナイル川と共に生活することを望んでいたみたいです。

それにしても、古代エジプトの人々は死後の世界を作り上げるときに楽園だけでなく再死も作ったんですね。

現世で良い行いをしていないと天秤の羽とつり合わない不安と、それでも死者の書があれば誰でも助かるという希望がちょうど良いバランスで組み合わさっていて面白いですね。

ここで思い浮かべるのが日本の閻魔様です。

「ウソをついたら閻魔様に舌を抜かれるよ」と小さい頃に言われたことがありますよね。

やはり何かしらの恐怖がないと小さい子は悪いことをしなくならないのですかね。

それでも助けてくれる死者の書を用意するエジプト人は優しいなと思いましたが、調べてみると最初の頃は来世に復活できるのは王や高価な棺を用意できる人だけだったようです。

それが時を経て死者の書が現れすべての人が来世で復活できるようになったみたいですね。

日本の仏教も同じような流れがありますよね。

日本に仏教が輸入された当初の奈良時代や平安時代はやはり国や天皇、貴族のための仏教だったように思います。

国を守り、厳しい修行や厳しい戒律を守れるものだけが救われるという教えの側面が強調されていました。

しかし、鎌倉時代に入ると南無阿弥陀仏を唱えれば誰でも救われるという教えが現れ広まります。

日々の生活に精一杯の人々に優しい教えだったのだと思います。

現世でも大変で死んだ後も救われないなんてあんまりです。

来世を想像し、良い来世を願うのは日本人も古代エジプト人も同じだったのですね。

まとめ

古代エジプト人と日本人の死生観について展覧会をきっかけに考えてみました。

自然に対する敬意や死後の物語に関しては似ている部分もありましたが、古代エジプトは紀元前の時代なのでそこは大きく違うなと思います。

また死体をミイラにするという発想も日本にはなかったのではないでしょうか。

全く予習も事前知識もなく古代エジプト展に行ったのですが、初めて見るミイラの棺や、来世で自分に代わって農作業をしてくれる像なども展示されていてとても面白かったです。

京都の次は静岡で開催されるようですので、興味のある方は是非行ってみてください!