仏教

【要約&書評】『池上彰と考える、仏教って何ですか?』【仏教入門書におすすめ】

「とにかくわかりやすい仏教の本を読みたい・・・」と悩んでいる方へ。

入門書に最適な、仏教のおすすめ本を紹介しますね。

仏教って何?って言うところから、身近に関わる仏教の話を丁寧に解説してくれています。

僕も仏教に関する本を色々と読んできましたが、これほど読みやすい本は無かったです。

仏教について最初の本を探している方は是非どうぞ!

世界三大宗教の一つ 仏教

本書は冒頭で、例えば人から「仏教ってなんですか?」と聞かれたときにそのまま使える説明をしています。

仏教は文字通り「仏の教え」です。

仏とは「ブッダ」の事です。

紀元前5世紀ごろ、古代インドに現れたブッダという人物が説いた教えが、後に仏教となりました。

池上彰 池上彰と考える、仏教ってなんですか? P15

紀元前5世紀頃というと、今から約2500年前です。

2500年前の日本は縄文時代の最後あたりですので、地域差はありますが狩猟・採集だけでなく水田稲作や金属器の使用が始まった頃ですね。

また隣の中国では、孔子を始祖とする儒教が盛んになっている頃です。

ちなみに一般的にキリスト教・イスラム教・仏教を世界三大宗教と呼びますが、紀元前5世紀の時点ではキリスト教もイスラム教もまだ登場していません。

キリスト教の創始者イエスはそれから約500年後の紀元前4年に生まれ、イスラム教の創始者である預言者ムハンマドが生まれるのはさらに500年後の西暦570年です。

始祖成立年成立地死生観
仏教ブッダ紀元前5世紀頃インド輪廻転生
キリスト教イエス西暦30年パレスチナ天国と地獄
イスラム教ムハンマド西暦610年頃サウジアラビア天国と地獄

こうして他の宗教と比較できるとわかりやすいですね。

比べて見ると、仏教がとても古い歴史を持った宗教であることがわかります。

また、仏教では輪廻転生が前提です。人は死んでもまた何かに生まれ変わって、この世に戻ってくるという考え方です。

仏教が生まれたインドや今も仏教が残る東南アジアは高温多湿な環境が多いです。

そこは生命が簡単に死に、それでも次々と新しく生まれてくる強力な生命力のある環境です。

人が何度も転生し、別の生物に生まれ変わる輪廻という発想が出てくるのも自然に思えますね。

一方で、キリスト教やイスラム教は周りに何も無い砂漠から生まれた宗教です。

そこでは絶対的な神が全てを創造し、破壊してしまうという一神教の考え方がしっくりしますね。

この話で作家の司馬遼太郎さんと立花隆さんとの対話を思い出しました。

司馬 特に古代セム族が住んでた砂漠環境というのは、そういう考え方が生まれるのにふさわしいですね。おっしゃったように、金の鋲みたいに無数の星があって、それは永劫なものを誰でも感じる。真昼は、太陽そのものが呪わしくなるぐらいに、覆わなきゃ歩けない。夜はもう寒冷でしょう。ですから地上というものの激しさが日常的に毎日ある。

<中略>

それに対して、われわれ日本のような環境の中では、夜道を歩いていても、峠を越したり、谷間や森に入ったら、その場所にだけ棲む神がいるような感じがして一神論的なものは生まれにくい。と同時に特殊な感覚の人は別として、宇宙論的な体験はわりあいしにくいですね。

立花 僕の砂漠体験で言うと、まさに宇宙飛行士が体験したみたいに、生命はここにあるけれども、あとはずーっと死の空間なんですね。それが密林の中で一人で夜中に野宿したときとは全然違うんじゃないかと思うんです。密林は周りじゅうに生命が充満している。野獣だの鳥だのヘビだのトカゲだの恐ろしい気味の悪いものがワッと囲んでいる恐怖があると思うんですよ。そういうところでは人間は形而上学的になれない。

司馬遼太郎 『宗教と日本人 司馬遼太郎対話選集8』p192

少し話が飛びました。

この3つの宗教はどれも一人の人間から生まれているので、その周りの環境を強く受けているんですね。

なので周りの環境が違えば、考え方も違ってくるのは当然なのかもしれません。

仏教の開祖 ブッダ

ブッダの原点

ブッダの生涯の記録は伝説のような形で残っています。

まずブッダは現在のネパール、古代インドのコーサラ国に属する小さな国のシャカ国の王子として生を受けます。

母の脇の下から生まれ、生まれてすぐに七歩歩き、右手で天を指し、左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と宣言した、という伝説は聞いた事があるかも知れませんね。

王子として宮殿の中で何不自由なく満ち足りた生活を送っていましたが、ある時外出する機会を得ます。

そこでブッダは、それまで見る機会のなかった現実を一度に目にします。

年老いた老人、痩せこけた病人、死者を送る葬列。

ブッダは城壁の中で美しいものしか見せられずに育ったため、人が老いること「老」、病で倒れること「病」、そして、死ぬ「死」ということさえ知らずに育ったのです。

それ以上にショックだったのは、自分もいつかそうなるということです。

ブッダは自分の慢心を悔い、人生がいかにはかないものか、苦しみに満ちたものかを知りました。

そして、なぜそんなことが起こるのか、そこから抜け出すことはできないのかという悩みを抱えることになったのです。

池上彰 池上彰と考える、仏教ってなんですか? P22

この人間らしいブッダの悩みが仏教の原点になります。

そしてブッダは家族や身分を捨てて出家をし、修行の道に入ります。

修行に入ったブッダは、長期間の断食をしたり、呼吸を止めたり、五人の仲間と一緒に六年間苦行を続けましたが、何の成果も得られませんでした。

ボロボロになったブッダは川のほとりで村娘のスジャータから乳粥を施され癒されます。

ここでブッダは苦行からの方向転換をし、現在のブッダガヤーの菩提樹の下で瞑想に入ります。

瞑想をはじめて七日目、三十五歳のときにブッダはついに悟りを得ます。

この瞑想から始まった教えが仏教としてアジア全域に広がり、日本にも伝わるのです。

ブッダの教え

そもそも生きることは苦である。人生は思い通りにならなくて当たり前なんだ。

ブッダの教えは、ここからスタートします。

池上彰 池上彰と考える、仏教ってなんですか? P37

この世は四苦八苦に満ちているのだから、二度とこの世に生まれてこないのが理想であると仏教は明言しているのです。

これでは救いも何も無いじゃないかと思いますよね。

例えばイスラム教の聖典『コーラン』には、神様から授かった命を、素晴らしい人生を、思う存分楽しめと書いてあります。このように言ってくれたらイスラム教の厳しいルールも我慢出来るかもしれません。

一方仏教はまるで人生全てを否定しているように思えます。

しかし実際に仏教は多くの人々に受け入れられました。

その背景には、伝統的なインド社会の成り立ちがありました。

古代インドのバラモン教、その流れを汲むヒンドゥー教にはカースト制度という厳しい身分差別があります。

生まれたときから家によって身分が決まり、仕事も結婚相手の身分も決まっています。

ブッダの生きた時代のカースト制度は、今よりもずっと強固なものだったはずです。

特に身分の低い多くの人々にとっては、生まれながらにして辛い人生が待っていて、そこから抜け出す術がありませんでした。

そこに登場したのがブッダの教えです。

生まれながらに人生が決まってしまう古代インドの背景を思うと、「この世は苦である」という一つの教えが深く共感を得られたのもしっくりきますよね。

そしてその苦しみから解放されることが出来るとブッダは説きました。

古代インドの人々は希望を感じることが出来たでしょう。

それがブッダの教えが広く受け入れられた理由の一つです。

日本の仏教

日本に伝わった仏教

仏教が中国、朝鮮半島を経て日本に伝わったのは538年とされています。

日本人は中国語に訳されたお経を通じて仏教を知り、中国語で教えを学びました。

百済の聖明王が日本に使いを送り、当時の欽明天皇に仏像や経典などを伝えたのが始まりです。

604年、聖徳太子は十七条の憲法を制定します。

第一条は「和をもって貴しとなす」ですが、第二条はご存知でしょうか。

「篤く三宝を敬うべし。三宝とは仏・法・僧なり」

仏・法・僧とはそのまま、ブッダ・ブッダの教え・僧侶を意味し、天皇について述べた第三条よりも先に、仏教がきます。

聖徳太子は当時最新の外来宗教である仏教を基盤に、中央集権国家を作ろうと考えたのです。

また、中国から伝わった外来である仏教が日本に定着し、形が整ってきたのは奈良時代です。

聖武天皇は全国各地の国分寺の総本山である東大寺が建立され、戒壇院を設けます。

そして中国から鑑真を迎え、その戒壇院にて天皇自らも含めて約400人が戒律を授かりました。

このときようやく、日本でも正式に僧侶になることができるようになったのです。

こうして仏教は日本に根付いていくのですが、古来から信仰されてきた日本の土着の神々は仏教が輸入されたからといって排除されたわけではありません。

神々は仏法を守るという役割を与えられ、仏教と神道は共存していきます。

葬式仏教と呼ばれる理由

多くの日本人にとって、人が亡くなれば火葬をしてお墓に入ってもらうのが一般的ですよね。

しかし、実は火葬が主流になったのは意外に最近のことで、明治時代には約7割が土葬だったそうです。

また、ブッダが生まれたインドでは人が亡くなると火葬し、遺骨はガンジス川に流します。

そのためお墓は作りません。

インドでは輪廻転生が一般に信じられているので、悟りを得て涅槃に赴かない限り、また別の何かに生まれ変わってこの世に戻ってくるのです。

つまりこうした環境で仏教は生まれたので、僧侶が人の死者に関わることは想定されていませんでした。

仏教がお葬式と出合ったのは中国とされています。

中国には儒教があり、儒教に由来する先祖供養に僧侶が関わるようになったのです。

皆さんも見たことがあるであろう仏壇に供える位牌も、もともとは儒教に由来します。

日本では10世紀頃から天皇、貴族の葬儀を僧侶が行うようになりました。

一方、庶民は河原や海岸、林に遺体を自然に還すのが一般的だったようです。

そこに登場したのが鎌倉仏教です。

浄土信仰が流行し、「南無阿弥陀仏」唱えれば浄土に行ける、成仏できると信じられるようになりました。

そこに加えて僧侶がきちんと葬儀をすることでより確実に成仏できると、庶民はお葬式に最後の救いを求めるようになったのです。

鎌倉仏教によって、それまで国家や貴族のものだった仏教が庶民に深く浸透していったのです。

まとめ

いかがだったでしょうか。

本書は「言われてみれば知らないな」という仏教の基本的な内容を、平易な言葉で説明してくれています。

また本書の後半ではダライ・ラマ法王との対談も納められています。

そこではダライ・ラマ法王が仏教の知見を背景にして、現代社会における問題点に答えてくれています。

特にダライ・ラマ法王が自殺について語っているところは興味深かったです。

僕も仏教についての本を色々読みましたが、1番おすすめできる入門書です。

仏教の初めて読む本をお探しの方はぜひ手に取ってみて欲しいですね。